上田風子展


「Lucid Dr e a m」という美しい名前の個展でした。
よく行っている文化村ギャラリーでの開催でしたが、
私がこれを知ったのは知らぬ外国人のタンブラー上ででした。
好きな画風の絵が載っていると思いよく見ると上田さんの絵でした。
日本画の硬質な筆致も持つ上田さんの絵は、
国を問わずファンも多いことだろうなあとしみじみ思い知らされました。
ふすま8枚に描かれた閉じられた海中世界、凄かったです。
女性も梅の花も揺らぐ波まで妖艶ではっとします。
ちなみにLucid Dr e a mとは明晰夢のことで、
これは夢だと自覚しながら見続ける夢。
そういう、狭間にあるエロスとパッションが流れ込んできます。


画像はそれぞれhttp://www.parco-art.comhttp://www.bunkamura.co.jpよりお借りしました。

楳図かずお恐怖マンガ展 楳恐


うちの母は楳図かずおが嫌いで、
理由は恐いものが嫌いなのと楳図先生自体が気持ち悪いかららしい。
対する子供の私は恐いものが好きで、
ロックでパンクで圧倒的なあの人柄もかっこいいと思っている。
この展示は、懐中電灯を持ちきもだめしのように巡るという趣向でした。
作品紹介とともに設置された立体作品が凝りに凝っていて恐ろしい。
まさか神の左手悪魔の右手のあの場面を立体で見ることになろうとはね…。
しっかり作品の内容と流れを表してあり予想以上に見ごたえがありました。


私が一番思い入れがあるのは「あかんぼう少女」です。
恐怖を与える側の苦悩や悲しみが描かれていること、
でも恐怖マンガとしてとんでもなく恐くって、
人間臭いところに感動した覚えがあります。
あとは楳図先生の描く女の子が可愛くて大好きで、よく真似して描きます。
お陰でヌマ先生から「楳図かずおのアシスタント」などと言われたこともある。
齢75とは思えないパワフルな楳図先生、これからも応援しています。

おさびし山、梅ヶ丘

ほんのり寒さが弛んで来たので春の息吹を見つけに出かけました。
京王線に乗ってどんぶらこと進み、初めて降り立つ梅ヶ丘は実に静かなところでした。
くねくね細い道とゆるやかな傾斜というのが沿線の特徴で、
方向音痴の私はもれなく不安に駆られますが何とか公園にたどり着きました。ふう。

ぽつぽつと白梅の可憐な花が咲いています。
しっぽり匂いたつようだけども、意外と梅の木は香りはないのですね。
平日の羽根木公園はひっそりとして、時折散歩する老人とすれ違うくらいでした。

こちらは鮮やかな紅色をしていて目に染みるように美しかったです。
梅は木の幹が黒くごつごつしているために、
遠くからは花が咲いているのかどうかすらもわからないです。
でも近づくにつれ視界に赤みが差してゆき、気分の高揚を促します!
左下の枝には、鳥の餌なのかみかんが刺してありました。
梅に鶯、とばかり思っていたが梅のみかんに鶯、だったのか。

枝垂れの梅はぼた雪のようなポップコーンのような風情です。
景色にもやもやしたフィルターをかけて一歩先に進ませません。
写真はinstagramで加工していますが、
本当にこんな風に古い映画を見ているような気分になります。


しばし梅園を楽しんだわけですがやっぱり趣向を認めざるを得ませんでした。
理由、枯れ葉をさりさり砕きながら歩いていてこういうのを見てしまって。

古い木に新しい木が乗っかってそのまま生長しているよ。
頼もしい、わくわくする、植物のこの強かさが好きだな。

この人は腹の中に亜細亜の仮面を隠して春の祭りを待っている。
息吹どころか、地平にとどろく太鼓のリズムが聞こえてくるようですよ。


色味が少なくて一見地味ですが、
樹や草は花よりもずっと表情豊かで深淵に連れて行ってくれます。
未完成の得体の知れないものが蠢いている所のほうが好きです。
ああ、でも桜は待ち遠しいのでした。

マン語りvol.6

マン語りvol.6の第2部のみ参加してまいりました。
前回のvol.5、富樫某のレベルEの回に参加できず残念に思っていたので、
楽しみにしていた「日常・生活系漫画大特集」でしたが…
結論から言うとそれはそれはお粗末なイベントでした。とほほ。
まるでなっていない司会進行と評論の薄さと偏った嗜好に基づいた紹介!
かなり厳しい言い方とは思いますが、
私の大好きなイベントだったのであえて言わせてもらいます。
いかに吉田アミさんの素晴らしい船頭で
毎回このイベントという船が漕がれていたかということを。


私はアミさんが好きなので彼女のイベントは出来る限り足を運んでいますが、
対象をかなり読み込まれ理解した上で客観的に言葉にされるのをいつも目にして、
軸のぶれない信頼できる方だなあと思っています。
司会進行は技術もセンスも努力も必要な、難しいことです。
無料ならば何も言わないけどね、
お金が発生している以上それなりの覚悟は有して欲しい所です。
ゆるゆるは心地良いけど、ぐだぐだは心地悪いようです。
まあ、私が行きたくてお金を払ったのだから良いんだけどね。
個人を非難するつもりは毛頭なく、怒っている訳でもないのですが、
ただ双方にがっかりだったろうなあと思ったのでした。


この日の収穫は、私のノーマークだった漫画をいっぱい教えてもらえたことです。
あずまんがよつばと!けいおん!もいか娘(?)も、
所謂デフォルメされたアニメっぽい絵柄が好みでないために読んでなかったのですが、
手を伸ばしてみようと思います。
そして相変わらず山本精一さんの冴えていることといったら、
戦慄の発言の連打で本当に変わったお人だなあとしみじみ思いました。

男の子女の子


バレンタインデイが間近になって、
街中にピンクや赤のハートで施された装飾が溢れこぼれている。
デパートの一角で沢山のチョコレートを前にして、ある小さな男の子が言った。
「うわあ可愛い、僕これが欲しいな、誰にあげようか。」
それを聞いた母親らしき人はキンキンした声で即座に、
「何言ってるのあなたは男の子でしょ!」と言い放った。
男の子は別段気にする風もなく、
「ふうん…」とつぶやいて母親に手を引かれて行ったが、
目はずっとチョコレートの山を追ったままだった。


私は男の子の天真爛漫な言葉と、
母親のちょっとドキッとしたのであろう態度に吹き出して、
どちらも可愛らしいなと思った。
どこで聞いたのかバレンタインデイにチョコレートを贈るという習慣を、
君もやってみたいと思ったのだね。
可愛いものを自分のものにするんではなくて誰かに幸せのおすそ分けを。
思考の環が一回り大きくなった君、おめでとう。
そして私は大島弓子の「つるばらつるばら」を思い出したりした。
別にこの日の男の子がそうとは言わないのだけど…、
大島先生の漫画の中では、
少し変わっている人間に対していかに優しく描かれていることか。


異端の十乗が通常になるなら一つまみしてやいのやいの言うのは、変だ。


そういえば大島先生はバレンタインデイも大好きな人である。
その日会った人には男女問わずチョコレートをあげるのだと書いていた。
嬉しそうな顔を見ると体がぽかぽかしてくるって、とてもよく分かる。
指の先までじゅんじゅん血が巡るもの。
そして私も倣って、バレンタイン近くに会った人には大抵、
お菓子をプレゼントするようになったのであります(ただ迷惑にはならないように)。

いはいちごのい


お休みの日、四ツ谷三丁目のフルーツパーラーフクナガへゆきました。
パフェの王様と言いたいほどの、苺です。
鮮やかな赤が見た目にも美しくてぼーっとなりました。
へた付きのあまおうが濃くて甘くて、これは最後のお楽しみにしました。
その周りのとちおとめはきりっと酸味があって美味しかったです。
バニラアイスとシャーベットの混ざり合うのが、
ひとくちひとくち感動的でした。
苺のシャーベットは一度煮て潰してから作っているのだそうです。
それでジャムのような濃厚さが生まれるのかな。


その後恵比寿へ移動して写真美術館へ行きました。
遅ればせながらガーデンシネマが閉館することを知り、さみしくなりました。
ここで私が見た映画は、品が良くて、日常にしみじみ感謝の気持ちを抱くような、
優しいものが多かったです。
ありがとうさようなら、また会う日まで。


「3Dヴィジョンズ」
記すまでもなく写美の得意分野なので、今回も楽しかったです。
何がかというとステレオスコープのソフトとハードの共に充実している事。
写真としても小さいながら美しいし、
その為のカメラも怪しげで可愛い造形をしています。
世に余裕があった頃の目と脳を使って遊ぼうという、
科学と奇術のあわいで発足した立体視のあれこれが好きです。


「輝きの瞬間 スナップショットの魅力」
所蔵作品が殆どだったので見たことのあるものも多かったのですが、
良いものはその時の自分に伝心して違う感動をもたらすのかと思いました。
そして実際の作品を前にしないと感動は迫らないのだとも。
アンリ・カルティエ=ブレッソンなど、
大好きで写真集も持っているけど家であまり開く気にはならん。
ズシンズシンと岩石をぶつけられる様なインパクトあるものが続いた後、
最後の特別展示、鷹野隆大「カスババ」は肩がほぐれました。
カスのような場の複数形でカスババだそうですが、
なんとも言えないトホホ感にふあ〜と声にならない息を漏らしてしまいそう。
輝きの瞬間と銘打っておいて、こんなどんでん返しがあるから写美は好きだよ。

幽体の知覚展

骨はどんな人間も平等になかに抱えているもので、
普段無意識で動かされ成長したりしている。
でも一度「骨だ」と意識すると、
死を思ったり恐怖感や不安がせり上がってくるのは何でなんだろう。
骨格標本は動物問わず結構好きなんだけども、
どうにもヒトの頭骸骨、髑髏のみ特別に嫌い。
恐怖や不安とはまた違ってただ気持ちが悪いというのが一番近く、
無比にもシャットアウトしたくなる。


森美術館での小谷元彦展「幽体の知覚」では、
それは巨大な頭蓋骨がぐるぐる回されている展示があった。
鍾乳石か樹氷のように時間をかけて形作られたような結晶状のそれを見て、
やっぱり気持ち悪かったが少し謎は解けた。
顔・頭の場所が感情を発する場所だからどうも嫌なのらしい。
死んでもなお訴えかける後ろに潜むものが私は駄目なようだった。
死んだ後の頭蓋骨やそれを模した物がすべて意味を持つとは思わないけど、
そう思ってしまうほどあの目の窪みの虚空の目力はどうだ。
うっとなる。
人間があんまり好きでないことも繋がっている様な気がしてならない。


そんな訳で「幽体の知覚」は美しくて面白くてすごく良い展示でした。
人によっては自分の内側を抉ってしまうかもしれませんが、
私はそれで随分すっきりしたので周りの人にもお勧めしています。
特にニューボーンシリーズ、
パイソンやビーバーなどの動物の動きを骨のみ残像で追って行く造形が、
想像もしない形になってゆくのが魅力的でした。


訳が分からない芸術もよいけど小谷さんの作品は訳が分かる芸術でした。
理解したというおこがましい話でなくて、
個々人に繋がる芸術だというのがすばらしいと思いました。
感覚も物理的にもです。
http://www.mori.art.museum/contents/phantom_limb/index.html