スプリング・フィーバー

http://www.uplink.co.jp/springfever/
シネマライズロウ・イエ監督による中国映画、
スプリング・フィーバー」を見に行きました。
心の中にまさに嵐を起こさせるような映画でした。
どのシーンも美しく、程好く土臭く、やっぱり美しかった。
数日たった今も様々なことが思い浮かんでは消えてゆきます。
上映後の吉田アミ氏×浅井隆氏のトークがとても面白かったので、
それに併せて思ったことなどを書いてみようと思います。


★純粋なラブストーリーと聞いて一体どんなものを想像するか。
私にとってそれは、
松井良彦監督の「追悼のざわめき」の中の兄妹の関係のようなもの。
他人の想像も及ばない、孤独で閉塞的な極限状態を思い浮かべる。
よって、映画を見た後これは納得できる言葉だと感じた。
人間は移ろいやすくて壊れやすいものだから、
その瞬間に自分を縛り付けていたくなる。
でもそれが他人には破綻に見えたりする。


★登場人物では誰が好きか。
この映画は相関図がなかなか複雑である。
夫の浮気を疑う妻が依頼した探偵と、夫の恋人がゲイの関係になり、
夫はその恋人に別れを告げられた事で自殺を図る。
恋人・探偵・探偵の彼女の3人はあてどもない旅へ、という。
私はアミさんと同じく、
自殺をしてしまう夫ワン・ピンの女々しさが好きだった。
出てくる女性陣よりずっと女性性を持っている男の人だったと思う。


妻のリン・シュエも、女の容赦無い攻撃性と寂しさが顕れていて好きだ。
夫の恋人の職場へ怒鳴り込みに行った時の台詞、
「あんたは男なのよ わかってんの ただじゃおかないからね」は、
ひどいし、ずるいけど、一言一言自分に刺さっていただろうと思う。
そんな事を言ったところで虚空に響くだけというのも、
彼女自身よく分かっているはずだから。


それより探偵ルオ・ハイタオやその彼女リー・ジンの方が怖い。
一見、嵐に巻き込まれ孤独に突き落とされた立場のようだけど…。
その都度自分の立ち位置を読んでよろしくやっている要領のいい人、
みたいに私には見えた。
そのぽっかり感に自分で気付いたから立ち去ったのかな、と思う。
あるいは嵐の中で本当の愛だったことに気づいてしまったのか。


★主人公は誰なのか
映画を見ていて気がついたことの一つに、
おそらく主人公のジャン・チョンの性格が、
だんだんと浮き彫りになってゆくというものがあった。
「登場人物の顔の見分けが付かない」という意見があったそうだが、
それは群像劇的なものからハイライトを当ててゆく
監督の意図に連動して生じる現象だと思う。
実際私も最初はそうだったので、
むしろ逆に監督のこの惹きつける技巧におお、と思ったのだった。
ジャン・チョンは一見大人しい青年で受け身(?)と思わせるんだけど、
徐々にシャツがはだけ始め、サングラスをかけて街を闊歩し、
クラブで煽り、バーで女装して踊りはじめるのだ。
えっそんな人だったの!?と思わせられたのが面白かった。


★中国のリアルな映画
現在の中国でいう幸せの基準に照らし合わせて、とのことだったが、
私はむしろこの諦念渦巻く日本にもぴったりの感覚だと思った。
もはや革命も学生運動微塵もありえない、
省エネルギーで穏便に済ましたい今の日本人なら頷くだろうと。
監督が「ハッピーエンドの映画だ」と言い切ったことについては、
誰もが自分で納得して自分の進路を選んだ結果の終わり方だから、
本当にそうだと思う。


そしてトークのお二人も言っていたように、
分かりやすい感動を今の全日本人が望んでいるわけでなくて、
血の吹き出す傷を、ナイフを待っているのは確かだということ。
J-POPもベストセラーの本も映画も、判を押したように同じだもの。
「ずっと信じていてくれた」とか「会いたい」とか、
「死んでしまって悲しい」とかそんなの当たり前だ、ケッって思う。
涙はそんな単純なものばかりだったかと頭を捻ってしまう。


そういう意味で、鈍りかけている日本人の頭に投石してくれた、
ロウ・イエ監督のスプリング・フィーバーは本当にすごい映画だった。
日常生きていてピリッと何か感じることのある人は、
そのアンテナを大事に磨いていくべきだと思った。
日本社会はそれを磨耗どころか疲労骨折させようとしているようだから。
何より、見終わって幾日たっても脳裏に浮かび上がって
色々考えてしまう映画は、それだけでいい映画だと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
余談だけども、この映画はハンディデジカメでゲリラ撮影されたものです。
その揺れが乗り物酔いの酷い私には結構きつくて、
半分吐き気との闘いでした。うう。
映画館で映画を見るときは体調万全で行くに越した事がないですね。