9.22キョウト

京都在住の弟と一緒にのびのびと過ごしたのが最終日のこの日。
明示した目的地に弟が土地勘を駆使してするする連れて行ってくれました。
旅行につきものの緊張感がないものだから、とても気持ちが楽でした。

町から消えゆくもののひとつ、京都の仁丹看板です。
探して撮影するマニアも居るとの専らの噂ですが、私も発見しました。

京都に来たらどの季節でも必ず賀茂川ビューを堪能します。
きらきらの青空の下で広がりゆく風景は、時間の流れが違うようでした。
土地をYの字に分かつ鴨川のデルタ地帯に今日は行くのです。

出町柳という名の通り、橋のたもとでは柳が風にそよいでいます。
じっとしているだけでも汗ばむ太陽の下、水の近くだけは涼しいのでした。

川を横断できるよう飛び石がぽつぽつと据えてあります。
千鳥、亀、亀、千鳥、千鳥、けんけんぱ。
亀の上には地球を支える象4匹のはずだけれど、
今は私の体が空を背負って乗っているから重いかな。

上流は水も綺麗なので涼をとりながら、夏のおやつを食べました。
幸楽屋のわらび餅、とても大きくてあっさりしたこしあんが詰まっていました。

サギがどのように狩りをするかを二人してじっと観察していたので、
今では完璧に脚の運び方や神経質そうなくちばしの動きを説明できます。
川魚の稚魚をはっしと捕まえては飲み込み、その後くちばしをゆすぐのだった!
京の子はやはり上品なのでした。
それから糺の森の濃い緑の中を抜けて下鴨神社をまわりました。
私は糺すという字や響きが美しくてとても好きです。

七条の三十三間堂は今回どうしても行きたかった所のひとつでした。
静謐な空気を湛えるお堂の中で、
1001体の千手観音像を見た瞬間に全身を鳥肌がぶわっと駆け巡りました。
よくぞここまでのものを…と思い自分でも何故だか分かりませんが涙が出ました。
筆舌に尽くしがたい感動は誰しも同じのようで、
国籍も年齢も超えてあの場に居た人々が皆息をのんでいることが分かりました。
千手観音像の中には、必ず会いたい人の顔があると言われています。


実は幼い頃に父親に連れられてここへ来たことがあります。
訪れた京都の他のどこよりも強烈な印象として脳裏に焼きついていたのでした。
けれど天竺や日本の神様のことを少しは理解できるようになった私より、
ぽんと放り出されて自分の感覚だけを頼りに
「うわあ何これーっ!」て驚く小さかった私のほうが、
ずっとずっと観音の近くにいただろうなあと思います。
ああ、でも、本当に素晴らしかった。
一線を越えた感動は表すことができませんね。


そしてそこからほど近いレトロ京都というアンティークショップへ。
ただ古いものではなくきちんと「京都」を意識している品揃えです。
店主さんも愉快で気さくな方で感じが良かったです。
弟も大笑いした、くまの頭の上に地球が載ってくるくる回る仕様の地球儀、
お釣りの100円が100円玉じゃなくて板垣退助の肖像入りの100円札だったこと、
店内で飼われている猫のしっぽが玉結びみたいで名前がわらびということ、
また一つ京都のすごいお店を見つけてしまったという感動でいっぱいです。

最後は弟おすすめの日が落ちてからの伏見稲荷です。
幽玄の世界をたゆたううちに、
疲れていた頭も段々さえわたり意識が研ぎ澄まされてくるのが感じられました。
それが私は少し怖かったです。
日中来たときの伏見稲荷とは全く空気感が違いぴりぴりしていて、
敏感な人は一人きりだったら発狂するかもしれないと心底思いました。

確かにもともと京都ってそういうところだったのでした。
都を守るために妖気のある土地に設立して、四方を陰陽で守って、
他とは一線を画していた場所だったはず。
目に見えないものと一番近しくしていたのがお寺や神社だったのだから、
軽い気持ちでゆく所ではないのかもしれません。

ぼんやりと立ち竦むと、港に赤い船がやってきているようにも見えます。

とても美しくて足を踏み出すのもためらわれる影絵のソナタです。


充実していた一日でした。
そして美しいものを見て胸ぐらをつかまれ、はっとする3日間でした。
意識がいったんニュートラルに戻ったことでまた頑張ってゆけそうです。
京都・大阪また来ます、どうもありがとう!