怪奇・幻想マンガタリ

荻窪ベルベットサンにて漫画を語るイベントマン語りvol.5、
今回は怪奇・幻想漫画ということでぜひともと思い、参加しました。
山本精一吉田アミタナカカツキ、皆私の興味の先に居る好きな人たち。
笑いっぱなしのすごく楽しい時間でした。
山本さんは始終水木しげるは天才と言っていたけれど、
あの場に居た誰もが知っているように山本さんだってある種の天才です。
「友達なんて居なくても良い」などの名言に非常に勇気づく私でした。
人間時計が読みたいのに田舎で手に入らない悔しさを噛みしめていた、
高校生の頃の私に聞かせてやりたいです。
加えてタナカカツキさんのトークが理知に満ちているのに面白くて、
聴き手を唸らせる言葉で語られる漫画の魅力に引き込まれました。


山本さんのトラウマ怪奇もの、コケカキイキイの原版は凄まじいものでした。
表情や各場面の絵は勿論、鶏と人間のあいの子という…のっけからフリークス。
怪奇も幻想も一歩視点をずらすとギャグです。


現在TVの影響もあり水木しげるの空前のブームが来ているようですが、
どうも漫画を読んで育ってきた人間にはそれが消費にしか見えず、
腑に落ちないし気持ち悪いと思っていました。
ゲゲゲ展に長蛇の列をなして観にゆくなんて一体何が起こったのかって。
原画の圧力と異様なパワーが渦巻いているすごく良い展示でしたけれど。
間口が広がるのは素晴らしい事だと思うけども、
妖怪って可愛いものばかりではないしましてや流行るものでもないし。
多くの人は鬼太郎のブースだけ観て、
グッズをしこたま買い込んで満足していることからも、
これは笑えるほど社会の縮図じゃないかなんて感じていました。
(あれは、祖父江慎さんによる愛と腹黒のキュレート結果でもありますが)
それで、この日はちゃんと好きで読み込んでいる人の水木しげる論が聞けたので、
とても満足したわけです。


水木漫画のアシスタントだった漫画家が、
系譜を受け継ぎつつ独自の進化を遂げたという見方が大変面白かったです。
例えば背景の抜きやグラフィック路線など、なるほどなるほどと思いました。
そう見ると水木しげるの息のかかっていない漫画家は、
少女漫画でもない限り無いのではないかという気にすらなってきます。
このようにゆるやかに水木祭りともいえるような流れで進み、満腹になりました。


最後にタナカさんのブッチュくんオール百科、藤子漫画のパロディを、
サイレント映画のように全員で読み進めて鳥肌をともなった感動で締めくくり。
しんと静まり返った時間とそこに凝縮された感情のエッセンスを、
描き出すことにかけてこの人の右に出るものはいない。
怖いくらいに素晴らしかったです。
タナカカツキはギャグになる前の漫画しか好きでなかったけど開眼しました。
紙芝居の話から始まり、最後も現在の紙芝居のような形式で纏まり、お開き。
まだまだ読んだことのないすごい漫画がいっぱいあるなー。
明日は古本屋さんに行こう。