砧公園

目が覚めるとよく晴れて気持ちのよい朝です。
今日は一度も行ったことのない公園へ行こうと思い立ちました。
電車で初めて降り立つ千歳船橋まで、
そこからはごとごとバスに揺られて砧公園に着きました。
初めての場所はそれだけでわくわくしますが、
それが静かで緑がある所ならなお、早く歩き回ろうとばかりに足がうずうず。
さらに砧と来た日にはたぬきもびっくら宙返りです。
きぬた…柔らかくって得体が知れない生物の名前みたい、魅惑の響きです。

青空に映えるは世田谷美術館です。
川上澄生木版画展も日程の一つだったのですが、うっかりまだ開催しておらず。
まあそういうこともある、と公園に全力を注ぐことがここで決定しました。

芝が2色に分かれて横縞を作っていました。
春と冬の横縞ももうじき混ざり合って溶けて、大きな春に飲み込まれるのです。

中央では桜の樹木が首脳会議中だったので忍び込んで聞き耳を立てました。
「いつ、一花咲かせて錦を飾るのか、それが問題だ。」とのこと。
白黒にするとポール・デルヴォーみたいで、裸の美女が出てきそうです。

身をよじってねじねじ、ねじりん棒のひと。
なぜこんな具合になったのか問いただしたい所です。
上の分かれ目なんてもう付いて行けなくなって割れているじゃないか。

最近はうろが気になっているので木と見ればまず穴。そして節。次に芽。
大切なことはいつも細部に宿ります。
しかし頭の中もうろみたいなものなので取り込まれないように気を張りながらです。
このひとは口から涎が盛大に出ているので何事かと思ったら、

小さなプールになっていたのでした。水に枯葉と土が堆積してゆきます。
脇のプールサイドにはどんぐりがぎゅっと押し込まれていて食料完備の良い施設。

このひとは、たらこ唇を気にするあまり寡黙になっております。
でも気が優しいのは滲み出ているので私も一目見て好きになりました。

このひとはなんと口の中が遥かなるエデン、美しく栄えているのでした。
さながらマチュピチュのように世人を警醒しています。

切り株の上にも世界です。
きのこか地衣か木耳みたいなものか、分からずじまいでした。
割ると木の内側が全部こんなので埋め尽くされているのかも知れません。
ぞぞーっしながら公園を後にしました。


この辺りまで来ると神奈川との県境が近く、
境界線である多摩川と並んでいくつも水路が通っています。
帰宅後地図を見返すのも楽しみの一つなのですが、
荒玉水道道路がここまで続いていることに気付いて驚いているところです。
次回は家から自転車で出発して、隅田川下りならぬ荒玉下りをしようと思います。
ガイドブックに載らないような東京の町と道歩き、面白くてやめられないです。