医学と芸術展
森博嗣の本を読んでいて思うことがあります。
多くの場合、感情がそれとして機能していないということ。
かつて読んだ本の中では感じたことがないくらい静謐で、
温度という温度が削ぎ落とされている印象を持ちます。
以前は好きではなかったのだけれど、このところずっと読んでいます。
理論が描写を凌駕して美しく結晶しているのが数学的で清々しい。
情景の骨組みだけ提示されているようなものなので、
自分で肉づけをするという意味では非常に文学的かもしれない。
そんなふうに俯瞰して楽しんでいるという事はつまり、
好きになってしまったみたいです。
私の中には、あまり出てこないけど、
感情は所詮化学反応の集積に過ぎないやと思う自分もいます。
ただ、集積が皮膚をかぶっただけではないところで
文学ナドが生まれているんだから、
かぶりものとも仲良くしていないといけない。
森美術館に「医学と芸術展」を観に行ったのも、
いかにも科学と割り切れないものだったからでした。
科学(医学)と芸術が出会う場所としての身体というテーマはすごく納得する。
中世の、見世物としての側面を持つ解剖講座は興味深かったです。
日本でもはるか昔刑死した犯罪者を使い腐って崩れるまで、
開いて開いて、骨と内臓にしてゆくことがありました。
それを本で知った当時はショッキングだったけれど
意思を持っていた一つの命も一介の肉塊なんだと腑に落ちる気もしました。
何より芸術としてとても美しかったから、それでいいのだと思う。
義手や義足や手術器具がずらりと並んでいるブースは、
目移りするくらい素敵なもの揃いでした。
ああいうものを何で素敵と思うのだろうか?
本当はあまり触れたくない影のものだからかもしれないです。
このようにすごく面白い展示でした。
でも個人的には第1部と第2部のみで十分でした。
折角深部まで行き着いた身体の発見と闘いが、
第3部のただのアートで歯切れが悪くなってしまう気がします。
かぶりものは色んなことを考えついて形に残そうとするようです。
ぢっと手を見る。