ありがとうさようなら

Sさんがお亡くなりになった。
数日前の朝それを電話で知ったとき、体の力ががくんと抜けてしまった。
嘘、まさか、まさか、だって、どうして、と戸惑うばかりだった。
悲しいというよりも暗い穴の中にぽつんと取り残されたようで。
日常生活はできていたけれどうわの空で、
ニスを塗って分厚くなった皮膚感覚のような上滑りだった。


4日、お別れの会に出席をした。
Sさんは生前からお人形のようなきれいな顔立ちだった。
棺の中で薔薇に囲まれている姿は彼女でいて彼女でないような気がした。
だから私は怖かった。
だってここに居るのに居ないのだもの。
どこに行ってしまったの。分からない。全然分からなかった。
まだ悲しいという感情までたどり着いておらず、混乱していた。
たくさんのお花を頬の辺りに添えて棺を後にした。
安らかに、と心の底から願ったけれど、
本当は分からない気持ちでいっぱいだった。
自身の気持ちに区切りをつけるように幾度も幾度もお顔を見に行く人が多い中、
私はとうとう一度きりしか、彼女に近づかなかった、頑なに。


Sさんは人形作家で音楽家で、才能とセンスに溢れた人だった。
私が好きでずっと追いかけていた世界のバイブルのような方で、
あの頃はお話できるようになるなんて夢にも思わなかったな。
お別れに来ていた人達には、
素晴らしいミュージシャンや突出したカラーを持つ人も多く見え、
改めて多大な影響を与え続けた人なのだと思い知らされる。
そしてとても愛されていたのだとも。
彼女をおくる為に集まり、笑いあったけれど、誰もが辛かった。


数日後、何の気なしにふとかけたCDを聞いていてぴりっと手が止まった。
それは偶然ながら、交友のあったYさんが、Sさんたちのことを歌った曲だった。
そこに居る当たり前のありがたさや暖かい関係が滲み出して、
私は気が付くとぽろぽろ泣いていた。


今はありがとう、さようならってきちんと思える。
ガラスのように繊細な人だったからきっと、
他の人より少し早く神様に気に入られてしまったのかな。
天使のように無垢だったSさんは今本当に透き通る翼で舞い上がったんだと思う。
やりとりさせてもらったお手紙の数々は私の宝物です。
着こなしを褒めてくださったこと、忘れません。
「ずっと可愛くて素敵なお洋服着て生きていきたいわよね」って、
おっしゃってた通りの白いレースの美しいお洋服で、
そのまま天使になったのが見えるほどよく分かった。
ありがとうございました、いつかまた空で。