クローバー絨毯によせて

どこもかしこも鮮やかな緑でふちどられて美しい季節になりました。
新緑の5月は1年のうちで一番好きなので晴れの日はもれなく散歩をします。

東京の住処を引き払い京都へやって来ました。
3月11日から2ヶ月が過ぎ、コペルニクス的でんぐり返し、今私は元気です。
地震の日より毎晩苦しんでいた悪夢にもようやく解放されて、
神経性胃腸炎も治って、ああ良かった。
世の中はとっくに息を吹き返ししているのに、
自分自身の再起動にこうまで時間がかかるとは、
つくづく社会的欠陥人間なのだと思い知らされたよ。
それでも、今回色んなことを考えて次の幕を上げることにしました。


以下、ちょいと堅苦しい語り口です。
東京では放射能汚染を危惧する事を冷ややかな目で見られることが多かった。
私は、未来のいつか健康な赤ちゃんを産みたいからという理由で決断したけど、
東京が大好きだったし離れるなんて考えたこともなかった。
自分なりに負荷を担う覚悟で行動したことにヤイヤイ言う人は、悲しいです。
危ないものを恐がることをなぜ非難されなければいけない?
非難するなら納得できるだけの情報収集を自分でしてみての結果なのか。
「TVが言ってるから大丈夫」も「一緒に頑張ろう」も、おかしい。
実害は実害であって、精神論でどうにかなる範囲などとうに超えている。


で、関西に来てみて思ったこといろいろ。
放射能汚染を避けて移動した個人や企業が思いのほか多いことを知りました。
そして引越しの理由を言ったときの反応が冷たくない。
それであの関東の過敏反応層の疑問が少し解けてきました。
恐らく、それをキーキー言う人は、
自分は今の生活を変えることが出来ないというもどかしさ、
怒り、悔しさなどから噴出しているのかもしれません。
そう考えると全ては被害者です。とても難しい。
私も今も自分の選択はずるかったのかな、とか、考えると涙が出ます。


けれどもそんな涙などは宇宙から見れば小さい事です。
それより原発をなくすために意識を濁らせないようにして、
にこにこ笑いながら京都の素敵なところをもりもり見つけたいと思います。
さあはじまり。